ぶらりずむ

すきなものだけをあつめました

春の雪

明後日で上京して十数年が経過します、上京記念日ですね。

十数年前は3月末日だというのに雪が降る悪天候という、未だに忘れられない日でもあります。

地元は晴れてたみたいだけれど。

 

自分自身の成長度合いを図る時、どうしてもその基準が上京した日からになってしまう。

あの日から、あの時から、というように自分で自分に暗示とも呪いともいえるような。

状況的にも呪われているんじゃないかと思える最中だったもんで、未だに春は好きになれません。

 

 

最近、就職活動の時期なのかはてな界隈でも「働き方」に関するエントリーや記事をよく見かけます。

「働き方」や「稼ぎ」を考える時には、いつも対比として自分の父親や兄がでてきます。

父親や兄と比べて、そこに追いつけているのか、まだまだなのか。

自分の年齢と同じごろの父親や兄の稼ぎがどうだったのかって聞いた事はないけれど、

どれだけ働いても未だに勝てる気がしない。

それこそ人の二倍働いていても勝てる気がしない。

いつか超えられる日はくるんだろうか、どうだろう。

ということを十数年前に思い、今も考え続けています。

 

そんな父親の最後に生きている姿を見たのは、上京する前日。

次に姿を見たのは数年前に孤独死して干からびた姿だったのだけれどね。

 

だから超えるとか超えないとかどうでもよくって、自分の独自路線を突き進めばいいのかもしれない。

自分自身の生き方自体がもう独自路線なのにね。

孤独の中に生きる

最近ちょっとずつ温かくなってきて、春を感じる。

自分的に春と言えば別れの季節でしかないのだけれど、この"春"独特の空気感というものが好きなので、別れの季節なのに嫌いになりきれずにいます。

 

ちょこちょこ折を見ては記事を書いているけど、未だに何を書いて良いのか分からない。

意外と自分が思っている本音をぶちまければ、それはそれで良いのかも知れない。

でもプライベートなこと過ぎて、それもどうなんだろうと思ったりもしてしまう。

このご時世、何が起るか分からないしね、そういう経験もあるし。

最近、年取ったせいか誰かに何かを理解してもらおうと強く思わなくなってきてしまった。

一人が楽、っていうのはあるかもしれないけど、自分以外の誰かに期待をしないとも言えるかもしれない。

自分の限界というのを知ったっていうのもあるかもしれない、頑張ったらどこまで稼げるのか、どこまで高く上れるのか、どこが頂点なのか。

頂点から見える景色って必ずしも素晴らしいわけじゃあない、頑張っても所詮ここまでかって思ってしまった。

更に努力をすればいいのかもしれない、それも一理ある。

でも頑張った結果、そこまでしか上れなかったからこそ達観した節もある。

自分で自分に限界を設定してしまっている、そういう言い方もあるかもしれない。

 

自分の頑張りに見切りを付けたのかもしれない、ここまでしか頑張れない、ここまではやる、これ以上は無理、と。

 

そんな時に誰かが助けてくれれば、人生観も変わっていたかもしれない。

でも誰も助けて貰えないなら自分でやるしかない、それも一つの人生だろう。

どんなに孤独の中に生きていても、朝が来れば起きて会社に行く、夜が来れば明日に備えて寝る。

人間である以上、生きるって本能がある以上、そんなもんだろう。

 

生きるってのは、やることをやる、それだけのことなのかもしれない。

Kindleって一人一つしか買えないんですね

Amazon.co.jp: 角川書店 ビッグセール: Kindleストア

 

角川書店ビッグセールと題して、50%オフでKindle本を売ってたので、ここぞとばかりに6千円分ぐらい買い込んでみました。

半額セールで6千円なので、定価で購入すると1万2千円ちょっとぐらい?

そう考えると、6千円の得をしたのか、普段同じだけ買ってたら6千円もぼられてたと考えるのか・・・

 

せっかく大量に買ったので、文庫ばかりと言えどもこれをiPhoneで見るのはちょっと辛いと思うので、

Kindleペーパーホワイトを買ってみようかな!

・・・なんて意気込んでいたら、1人1個しか買えないことが判明。

ちょっと諸事情あってプレゼント用で買おうと思って、カートの中に入ってたんですね。

他にもKindleをプレゼントで送る際にはギフト設定にしておかないといけないとか、いろいろな制約があることがその場で判明。

泣く泣くプレゼント用のKindleを諦めつつ、自分用に購入。

微妙に分かりにくい微妙な制約に気が付いて良かった…

 

というわけで、3月27日までのセールらしいので、お早目に。

アイデアが出ないと嘆いている人へ

仕事で良いアイデアが出ない中、アイデアや発想をぽんぽん出す会社の先輩を見ていて、あの人の秘密はなんだろう・・・

元から頭が良いんだろうけど、それだけじゃないはず・・・

 

と悩んでいた折、この2冊と出会いました。 

アイデアのつくり方

アイデアのつくり方

 

 

考具 ―考えるための道具、持っていますか?

考具 ―考えるための道具、持っていますか?

 

 

多分オーガニック検索で発見したと思うんだけど、どうやって発見したのか正直覚えていない。

もしかすると「アイデア 出し方」とか「アイデア 考え方」とか、そんなんで検索したのか、

どこかの誰かのはてなブログの記事から進んでいったのかもしれない。

自分は知らなかったけど、両方ともとても有名な書籍らしく、発売日が物凄く前なのに未だに売れ続けているようです。

 

書評、と言えるほど何回も繰り返して読んでいないし、評せるほど文章力もないんだけれど

ITエンジニアであってもディレクターであっても営業であっても、はたまた事務職でも

この2冊の本を読んで考え方を変えると、仕事が楽しくなるんじゃないかなと思うのです。

 

そもそもアイデアとは・・・という話になってしまうけど、今やっている何かをより

便利にすることに尽きると思うのです。

それが革新的か地味なものなのか、そういう度合いは置いといて、1+1=2を1+1=2+0.1にすれば

それも一つのアイデアの結実したものじゃないかなと。

誰かの役に立たなくても、自分の役にさえ立てば、それは一つのアイデアなんだと思うのです。

 

実際にこの2冊を読んで、物事の捉え方、考え方がちょっと変わりました。

新しいアイデアっていうのは、すべてにおいて革新的でなければならない、なんてことはなく

既存のものをちょっと変えたり、既存のAとBをくっつけてABやらCにしてみたり、

そんなんで良いんだと、それでも十分なアイデアなんだと。

そう思えるようになったお陰か、気持ちの面でもちょっと楽になり、今までは思いつかなかった

ちょっと新しいことを思いついたりするようになったり。

 

素人が書評を書くより、何年、何十年経っても売れてるということが全てを物語っている気がします。

さて、ここで推理の時間です

今日の夜、帰宅した折にビニール袋が自宅玄関のドアノブにぶら下がっていました。

 

「なんだこりゃ」と訝しがるも、取りあえず手に持って家の中に入りました。

恐る恐るビニール袋の中身を取り出してみると、紙袋とのし紙に包まれた物体が入っていました、

のし紙には知らない人の名字。

 

ビニール袋の中身を覗いてみると、こんなメモ書きが・・・・

「(隣の部屋)号室に引っ越してきた○○です。

 どうぞよろしくお願いします。」

 

いや、引っ越しって言っても結構前だった気がするんだよ、隣の人。

今が3月だから、一ヶ月ぐらいか一ヶ月半ぐらい前に引っ越してきた気がするの。

そんでもって、最近そういった搬入のトラックも見てないの。

 

考えられることとして・・・・・

1,(うるさいとかそんなのを直接言いにくいから)暗に牽制してきた

2.実は今まで引っ越し準備をしていて、今日が本当の引っ越し日だった

3.実は超奥手で話しかけたいけど、きっかけがつかめないが故に頭をフルに使った結果の行動

4.その他

 

さて、どれでしょう。

フェイスタオル2枚をもらったので、取りあえず近所のドラッグストアで洗濯洗剤2個ぐらいを袋に詰めて、メモを添えてお返ししときます。

何がどうなるか分かんない人生だしね、良くも悪くもさ。

仕事に対するマインドってよりも責任感

一つの業界で仕事をしていて、何年目からが長いと言えるのか分からないけど、IT業界でそこそこやってきました。
最初は大型汎用機のオペレーター(24時間365日稼動で地下室勤務)を経験して、今はプロマネなのやらディレクターなのやらわりと曖昧な範囲で仕事を担当しています。
今までプログラムやシステム構築一辺倒だったわけではなく、どちらかというと運用管理畑が多くてサーバーもプログラムもあんま触る機会もなく。
というようなタイプがディレクターやプロマネをやっていいのか疑問の中にいるけれど、やっていいかどうかが問題ではなくそこから何を吸収できて、何を還元できて、次に何を生み出せるのかが大事なのだなと最近思いました。
自分よりもはるかに優秀なSEとデザイナーがいて、その人たちと対等とはいかないまでも、共通言語を以って話をしていかないといけない。良いプロダクトを作るということは、(自分も含めて)現場内で共通認識を持って、各担当者が自分の持ち味を活かして、能力を最大限に発揮することが大事かなと思うのですね。※良いプロダクト=世間的に会社的にいい、とは違いますが
そうなると、ディレクターって幅広く専門外のことにもある程度突っ込んだ勉強をして、それでも足りない所は素直に「すんません、知らないんで教えてください」の気持ちをもって教えてもらうことが凄く大事なんじゃないかなって。
 
ITを一口で語っても物凄く色々とあるけれど、一つの現場なのに二次請け・三次請けと現場から見た管理が結局お客さんだからお互いに遠慮せずにぶつかって詰めるってのは難しいのかもしれないね。だから管理は管理で増長しちゃうし、現場は現場で一緒にやってやろうって気持ちが萎えちゃう。
会社を一歩出れば、お客さんなんて概念は持たなくていいと思うんだけどなぁ。
管理側も大変だしえらい、現場も大変だしえらい、みんな苦労してやってんだから管理も現場もお互い様でしょ。だから仲良くではなく、協力して一緒に頑張ってやっていきましょうや。みたいな気持ちを持ち続けるディレクターでありたいと思います。
でも管理がダメだったら現場が自分で調整してやればいいし、現場がダメだったら管理が自分で開発すりゃいいと思うんですけどね。実際にどうかって話じゃなく、自分の中のマインドとしてね。

 

できないからやらない、は間違いだと思うのです。

mixi/twitter/blog 使い分け

現役女子大生に聞くスマホ事情(2):「LINEで未読100件は当たり前」「本当はmixiに戻りたい」――女子大生とSNSの距離感 - ITmedia Mobile

 

最近のmixiの株価に関する記事とか、今の社長の退任とか色々を見ていて、

もうmixiって10年ぐらい経ったんだな~って実感しました。

 

この記事読んでほんとかよと思いつつ、mixiって昔はそれ自体のザルはけっこう狭くて、

その中でも更に狭い中で自分の見せたい人にだけ日記を見せることが出来て。

日記というものを書く習慣がなかったのだけど、ここにはしっかり書けたり。

今はもうほとんど日記を書くこともなくなったけど、やっぱりブログに日記を書くのと、

限られた自分が知ってる範囲の人にだけ公開できる場所に日記を書くのって違う。

UIや使い勝手ってのもあるとは思うけど、それ以上にせまいSNSとわりかしオープンな

ブログの違いってのを感じたのであります。

 

twitterもそういった意味ではちょうど中間な気もするけど、140文字で終わってしまうしね。

140文字に中身を集約するってのも良いのかも知れないけど、やっぱりmixiが好きなのです。

だいたい11回ぐらい

今週のお題「お引っ越し」

 

自分の記憶にある範囲の中での、産まれてからこの年齢までの引っ越し回数です。

多分普通の人よりかは多いんじゃないかなぁ、と思うんですが、人によっては生涯で引っ越しなんて一度や二度ってのも珍しくはないんじゃなかろうか。

引っ越しのエキスパートでも何かオトクな情報を知っているわけではないので、ここらへんで。

 

最近の出来事はというと、春なせいかあんまりやる気も出ず、公私ともに半端に忙しかったり、

色んな出来事があったりと、そんな感じでした。

自分の中での春というのは別れの季節であって、春が終わった後の時期にある出会いが

とても大事なことというのが多かったのです。

 

仕事は仕事で、今の立ち位置というのは技術のことをある程度は理解しておかないといけないけど、

技術は求められていないという変なポジション。

要は企画職なんですが、10年以上社会人をやってきて、今の会社で企画という仕事に初めて就いたのだけど

何というか未だに身体に染みつかないというか慣れないというか。

 

「そもそも企画職ってなんだろう?何よそれ?」な感じなんですね。

今までの仕事ってどちらかというと運用系の仕事が多かったので、ゼロベースで色んな事を

考えるのって、どちらかというと苦手なのです。

色んな表現はあるけど、企画=プランナー(?)だと思っていた自分としては、いざ自分が

企画職になってみて初めて企画=ディレクターという新しい切り口を知ったのです。

 

ディレクターとプロデューサーの違いって明確にはないらしく、

ディレクターは既存のものの改修や決められたプランに沿って組み立てて行動する人

プロデューサーはゼロベースで色んなものを組み立ててディレクターに渡す人

っていう表現方法をネットで見ました。

 

ますますディレクターとはどういうものなのか分からなくなってくる、早春の夜更けなのでした。

初めて買ったパソコン

今週のお題「ナイショにしていたこと」

 

お題と日記のタイトルがちょっと合致していない感もありますが、ソニーのPC事業が売却されるそうで

VAIOブランドもこれで終わりか。。と悲しくなりました。

 

普段の会話の中で「初めて買ったPCって何?」とか聞くことも聞かれることもないので、

「ナイショにしていたこと」として書いてみようかなと思いました。

何を隠そう、初めて買ったパソコンはVAIOでした。

機種はこちらです↓↓

 

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17インチのトリニトロンディスプレイ!(くっそ重たい)

メモリー64MB!(当時は128MBは超ハイスペック)

OSはWindows98!(まだWin95を見かける時代でした)

CPUはPentiumでもなくCeleronでもなくAMDK6-2!(3D Now!)

っていう感じの、当時はわりと一般的な感じのスペックでした。

やはり一番に惹かれたのはカラーリングでした、当時のパソコンって白物家電かっていうぐらい

どの会社も白色が多かったように気がします。

そんな中での薄いバイオレット、しかもスピーカーの部分にはVAIOの文字!

「やっぱソニーは違うなぁ、IBMとか富士通なんて業務用だし、NECなんてただの家庭用PCだよなぁ。」

なんてことを思いながら、ソフマップで眺めてました。

 

当時は高校生だったのでパソコンを買う金もなく、バイトを二つ掛け持ちしてお金を貯めて

パソコンを買おうと意気込んでいました。

もうそれこそ週6で働いたんだけど、高校生なので22時までしか働けず、1日あたり5時間働いて約3500円ぐらい。

3500×6=2万1千円なので1ヶ月で10万いかないぐらいですね。

ほんと我ながらよく働いた、学校行って家に帰ってちょっとして22時までバイト。

それを週に6日、普通の会社員よりも稼働してた気がする。

 

そんな苦労を重ねて初めて買ったPCがこれだったんです、その後もMD搭載PCとか、ある意味でエッジを利かせた

PCを出してくれたソニーVAIOでしたが、今後は名前だけVAIOで中身はBaiduとか

チップベースで何か仕込まれたりとか、そんな感じなんだろうか。

 

追悼というか哀悼というか惜別というか、そんな感じでVAIOのブランドが潰える前に何か買おうかなと

ソニーストアを見たところ、欲しいパソコンがありませんでした。

ソニーに魅力が無くなったのか、他のメーカーがそこまで追い上げてきたのかは分からないけれど

メモリー64MBでHDDも6GB程度のWin98端末のおかげで、今こうやってITに興味を持って

IT関連企業に勤めているってのはとっても感慨深いものがあります。

 

っていう私のナイショにしてたこと。

地方時間と東京時間

先ほど1時前に帰宅しました。

 

いっとき地方に住んでいたことがあって、その時は都内から転居したのだけれど

間違いなく地方時間と東京時間があるなと思ったのです。

地方時間って地域にもよるとは思うけど、まず20時には暗くなるし、人も減る。

ずっと長いこと東京に住んでいると、それが普通だってことに鈍感になる。

20時なんて「まだ普通に仕事してる時間じゃん」って。

24時なんて普通はもう寝る時間だろうに、東京だと人によっては普通に働いている時間。

自分の時間軸がちょっとおかしいのかもしれないけど、間違いなく東京時間と

地方時間ってあるんだなと思うんです。そりゃそうなんだろうけどね。

金持ちも貧乏人も皆等しく時間は平等なんだよね、たまに忘れるけど。

 

人よりも何かに優れようと思ったら、人が休んでいる時間に努力をするしかない。

高校3年生の時に恩師から言われた言葉だけど、それって大学受験以外でも

社会に出てからでも全く同じだね。

人よりぬきんでた何かをしようと思うなら、努力をしようと思うなら、適切な方向に

適切な努力も必要だけど、凡人ならなおさら時間を割かないといけない。

だから仕事が終わった後に仕事では使わない勉強をしたり、他のことをしたり、

仕事でもっともっとより力を発揮出来るように普通とは違うリフレッシュをしたり。

 

でも凡人にはやはり凡人の限界があるなぁと社会に出てから尚更痛感するのです。

そんな時には、たまには地方時間を味わうために地方に出かけるのも良いかもしれない。

 

 

なんて、地方都市出身者として思うのです。

子供の頃に聞いた「眠らない街 新宿」とか「新宿鮫」とかね、やっぱり地方から出ると

最初は舞い上がっちゃうよね。

春を感じる今日この頃です。